スタッフのご紹介
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心も身体も元気に!
- 木村 七星(きむら ななせ)
- 施術スタッフ
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出身地:千葉県市川市
血液型:O型
趣味・特技:散歩
資格:鍼師、灸師
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地域のみなさまへ私はたくさんの方を笑顔にしたいと思っております。それは私だけではなく当院のスタッフ全員が思っている事です。 当院では皆さまのお悩みを解決し笑顔になれるよう精一杯お手伝いさせていただきます。 1人で解決できないお身体のお悩みがありましたら当院にぜひお越しください。 スタッフ一同心よりお待ちしております!
施術家になるまでの自分私は学生時代、ソフトボール部に所属していました。 中学2年生の頃、大きな大会前に手首を怪我をしてしまいました。 それがきっかけで治療家を目指す事になりました。 怪我をした時、初めは近くの病院で治療を受けました。そこの先生には「3日間安静にしてれば治る」と言われたので3日間安静にしていました。 でも痛みが引かず、レギュラーをとられてしまうと焦った私は痛みを我慢したまま練習をしてしまい怪我はますます悪化、とてもソフトボールを行える状態ではなくなってしまいました。 その状態を見た母が自分が通っている整骨院を紹介してくれました。(そこがケイズグループの院です!) お世話になった先生は母から事情を聞き、緊張している私に優しく声をかけてくれました。 治療中、「毎日来てね。そしたら大会までに間に合わせてあげる」と言いました。 先生の言う通り毎日毎日通いました。 お世話になった先生は毎日懸命に私の治療を行ってくれました。 子供の怪我に親身に対応してくれたのが私はとても嬉しかったのを今でも覚えています。 それに、他の先生方も関わりが少なかったのに私の怪我を気にかけてくれて毎日通うのが楽しみになっていました。 先生たちのおかげで無事に大会に参加する事が出来ました。 整骨院の体験があり、私もこういう人になりたいと思い治療家を目指しました。
新人・修行時代の自分治療家になり初めて所属した院で院長先生や先輩の先生が患者様にとても信頼されている事が出勤初日で伝わりました。 またそこの院のコンシェルジュの方は私より若いのにすごくしっかりしていて院に所属してまだ浅いのに患者様からもスタッフからも信頼されている方でした。 私はとても悔しかったです。 もっと私が技術が上手かったら患者様を笑顔にできるのに、もっと私が気配り出来ていたら周りを楽に出来るのにと何度も思った事もありました。 患者様からも「院長先生か先輩の先生にやってもらいたい」「やっぱり女の人は力が弱い」など言われた事もありました。 同じ院に所属した同期はどんどん成長していき、焦りもありました。 院長先生や先輩の先生より上手くなりたい、同期に負けたくないと思い社内の勉強会にたくさん参加し、院内でも院長先生、先輩の先生の身体を借りてたくさん練習しました。 時には衝突した事も良い思い出です(笑) その努力のおかげで「先生にお願いしたい」と初めて言って頂けたのは今でも私の宝物です! それからたくさんの人からの支援もあり院のNO2になれるまで成長できました。 あの時の院長先生、先輩の先生、コンシェルジュの方、同期の先生には感謝しかありません!
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皆様を笑顔にします
- 日吉 諭夢(ひよし つぐむ)
- 施術スタッフ
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出身地:茨城県取手市
血液型:B型
趣味・特技:料理
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地域のみなさまへ日々の生活で身体が辛い、スポーツをしていて怪我をしてしまった。などでお悩みの方もご相談下さい。どんなご相談にも私たちがお聞きいたしますのでお気軽にご来院ください。お待ちしております。
施術家になるまでの自分幼稚園生の頃から高校卒業までの間ほとんど毎日サッカーに打ち込んでいました。コンタクトスポーツというのもありケガをすることが多くありました。その時によく通っていたのが地元の整骨院でした。初めは整骨院がどんなところなのか何をするところなのか全く分からず不安しかありませんでした。しかしその不安はすぐなくなりました。サッカーで走るだけで痛かった膝がだんだん走っても痛くなくなっていくを感じて感謝の気持ちと憧れの気持ちが強くありました。高校に進学し整骨院の先生に言われた通りにケアをするようになり膝の痛みや怪我をすることがほとんどなくなりました。怪我をすることが多くあったため将来は人の怪我をよくして喜んで頂ける仕事につきたいと思うようになりました。高校3年生の受験のシーズンでは周りが進路を考えている中私は専門学校に進学することをすぐに決め黙々と勉強を進めました。専門学校への進学が決まり時が過ぎ気づけば施術家になっていました。今となっては憧れていた先生と同じ職業に就けて嬉しく思っています。まだまだ成長途中ではありますが、これからも憧れの先生に近づけるよう、怪我で悩んでいる方を治すため全力で仕事に努めていきます。
新人・修行時代の自分もともと1人でいることが好きで特定の友達以外とは一定の距離を保ちつつ接してきたこともあり、研修という大勢の同期たちと一緒に練習などをするのがとても不安でありメンタル的にも追い込まれ辛く思うこともありました。今までいろんな人と話したりすることがあまりなく、コミュニケーションをとるのも苦手でした。話しかけられてもどう話したらいいか何を話したらいいか分からず最初はほとんど誰とも話していませんでした。現場研修が始まり頭の中は不安でいっぱいでした。初めての現場研修で緊張をすごいしていた時に1人の先生が話しかけてくれました。話していくうちに不安が少しずつなくなっていきました。偶然にもその先生が同じ専門学校出身で話し込んでいるうちに不安がなくなっていきました。患者様と話すことも多くなり、始めて施術を任された時は緊張はしましたが何よりも人と話すことの楽しさを知りました。施術が終わった後には「お話も楽しかったし身体がすごく楽になったよ。ありがとう。」と言っていただき、とても嬉しい気持ちでした。辛いことがあってもその言葉を忘れずに頑張ろうと決めました。その後研修では同期と話すようになり始めは辛い思いしかなかった研修も楽しいと思うようになりました。これからも「ありがとう」の言葉をいただけるよう日々精進していきます。
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リラックス出来る空間と
優しさの溢れる院
- 小熊 健義(おぐま たけのり)
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出身地:新潟県新潟市
血液型:O型
趣味・特技:スポーツ観戦
資格:鍼師、灸師
- 地域のみなさまへそれぞれの患者様が、お仕事やプライベートで常にベストパフォーマンスを発揮出来るように、自分が出来ることを考えています。皆様のお力になれるよう、全力を上げてお身体のサポートをさせていただきます。
施術家になるまでの自分小学生の時、陸上の練習中に腰の大怪我をしてしまいました。練習をする事は難しく立つのも一苦労で、母と駆け込んだのは「整形外科」でした。丁寧に診断をしてくれて施術も私の体に合わせながら行って頂いた事にとても感謝と感激と嬉しさがありました。無事に回復が出来た頃、担当して頂いた先生から「大会頑張ってね」と激励まで頂き、「あの先生みたいに自分も人の役に立てる立場になりたい」と考えるようになりました。
高校進学を決める時期になるタイミングで学校の先生から勧められたのが、医療系の資格が取れる学校でした。正直全然イメージとかけ離れていて、「整骨院でも自分の理想を形に出来るのだろうか」と不安な気持ちもありました。
資格を取り患者様に接する機会が増えてくると、「ありがとう」という言葉をもらう事が多くなりました。「人様のお役にたっている」と少しずつ実感が湧き出てきて、改めて施術家としての立場からの見方が変わってきました。
あの整形外科の先生がいなければ今の私はこの業界にいないと思いますし、これからも理想の施術家を追い求めていきたいと思います。
新人・修行時代の自分新人時代は常に引っ込み思案で、単純に「患者様を施術すればいい」と思っていました。しかしながら研修中に「患者様への施術から人間性等を教えて頂いているのだから、常に感謝を忘れずに患者様に関心を持って接しなさい」と指導された時は、患者様のお身体を任せて頂いている事の重要性を知りました。患者様に信頼をもらう為に、自分自を変えなければいけないと。
現場に配属されてからは常に、患者様に対しての意識を高く保っています。新人時代の研修があったからこそ今の自分があると思います。
患者様を担当させていただくようになってからは、少しずつ「ありがとう」と言われることが多くなりました。私にとっては最高の誉め言葉で、「この仕事を続けたい」と強く思うようになりました。経験をさせていただくことで自信がつき、もっと接遇力・技術力を磨いて患者様の満足度を上げていこう!と決意をしたのを覚えています。しかしながらそれは決して簡単なものではなく、日々失敗や挫折を繰り返しながら、先輩方に相談し解決策を何とか見つけ、一日一日の過ごし方を変えていきました。優秀な同期との差を感じるときもあり、負けたくない一心で過ごした新人時代でした。
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貴方の体を楽に
- 砂川 晃人(すながわ あきと)
- 施術スタッフ
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出身地:千葉県松戸市
血液型:0型
趣味・特技:アーケードゲーム、銭湯
資格:柔道整復師
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地域のみなさまへ普段からの生活でお身体が痛かったり、不安になったりする方が多いと思います。そんな方々の選択肢の1つに慣れるよう頑張っていきますので是非気楽に足を運んで頂ければ幸いです。
施術家になるまでの自分沖縄県で生まれ人生の半分を沖縄で過ごし、半分は千葉県の松戸で育った。 小学校ではバスケットボールをやりスポーツの楽しさや皆でやる楽しさを学んだ、中学校では卓球と全く別のスポーツをやり一対一の緊張感とその難しさを学んだ、高校では自分を変えるために陸上競技の道を進んで行きその厳しくも記録が伸びていく事への楽しさを感じていき練習を頑張って行く過程で初めての疲労骨折と言う自分にとっては大きい怪我をして初めての経験して初めて接骨院や整形外科に行き柔道整復師と言う仕事に出会った、その後大きな大会などで仲間が怪我をするのを見ていて何か出来る事は無いかとぼんやりではあるが考え柔道整復師の道のりを進む事を決意する。 柔道整復師の資格を取るために専門学校へ行きまず3年間勉強していき一回目の国家試験を受けるも落ちてしまう、一度は辞めて別な道を進んで行こうかとかなり悩んだが、それでも諦めきれずに再び国家試験を受けることを決意する。 一回目の経験を生かして中身が大きく変わっていく国家試験の内容に苦労しながらも1年間再び勉強を重ねて行き二度目の国家試験を受けその難しさに苦戦しながらも無事に何とか合格して柔道整復師の道を歩んでいく。
新人・修行時代の自分私がこのケイズグループに入社して色々な上司、先輩の先生方々からのお言葉、考え方を知り改めて私が考えている事ややっていきたいことなどここなら少しでも出来るのではと思いました。 研修期間は社長講話や技術練習、他の院へ配属し離れていく同期との関係が深められてとても有意義な時期を過ごせました。 いざ現場配属され、研修期間で得られた事と現場での学んだ事の悩みが次第に出始めてきました。 悩んだ事といえば、患者様対応、受付周り、治療技術、接遇力、環境整備など話しに挙げれば様々な事がありました。 患者様対応ではコミュニケーション能力や会話の質 受付周りでは書類作業や締め作業など 接遇力では浅尾ブロックマネージャーや現場研修で御世話になった金沢ブロックマネージャーやその院で働いていた先輩の先生方々、わかば整骨院の現院長でもある浅尾院長から接遇の必要性を学ばせて頂きました。 環境整備など他の会社では学べない事を学べる機会が多く出来ました。 最後に技術では、やはり私は一年目で先輩方にまだまだ及ばない技術力で患者様を満足させる事はなかなかできませんでした。 なので、これからも先輩方に追いついていく心で練習を積み重ねていきたいと思います。
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明るくなれる接骨院
- 黒坂 優希(くろさか ゆうき)
- 施術スタッフ
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出身地:北海道河東郡音更町
血液型:O型
趣味・特技:ゲーム、アニメ、漫画
資格:柔道整復師
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地域のみなさまへ北海道からこの地域を盛り上げるためにこの地に舞い降りたと言っても過言ではない!とは言えませんが、少しでも地域の力になるべく頑張ります!あなたのお身体の悩みを解決させてください。そして笑顔になってください。そうすれば笑顔の絶えない地域と呼ばれると信じています。
施術家になるまでの自分僕は小さい頃に家を建てたい、自分で建てた家に住みたいという夢があって高校は工業高校に通っていました。さらにバスケが好きでバスケ部に入りスポーツと家を建てるための知識を学んで順風満帆な高校生活をおくっていましたがある日人生を変える出来事がありました。それは高校3年のバスケ全道大会の第1試合、後半戦でチームメイトが着地時に膝を怪我するところを目の当たりにしました。急いでベンチに連れていきましたが何をすればいいかわからずオロオロしていると大会役員の方が適切な対応で処置するところを目の前で見て自分は何も出来ないんだと感じ悔しい気持ちになりました。この出来事からその場で落ち着いて処置できるトレーナーというものに興味を持ちました。専門学校で話を聞いたら今のトレーナーは柔道整復師か鍼灸師という国家資格を持っている人が多いと教えてもらってから柔道整復師にも興味を持って将来の自分の姿を考えたらこれだと直感で感じ、スポーツの現場で施術できるトレーナーになりたいと思うようになってからはトレーナーで培った筋肉についてやスポーツの知識と柔道整復師で培った人体についてや怪我の知識があるおかげで今の自分があり、学生のときにこの道に進もうと決意した結果になります。
新人・修行時代の自分この業界に入ってからは苦悩の連続でした。最初にキツく感じたのは生活リズムを変えることでした。今となってはつらさはありませんが入社当初は寝坊しないように、遅刻しないようにと思いながら行動していました。社長の言葉で「朝を制するものは1日を制する」と言っており朝早くに起きてから自分の勉強の時間にすると人生豊かになるという意味が込められていて実際に行動して勉強すると今までの生活からガラッと変わった感じがありました。それから実際に施術の技術を覚えたり学んだり院の雰囲気やルールを覚えていくなかで苦労したことは患者様の名前と顔を覚えていくことでした。覚えることが多いと前回入った患者様と会話した内容などを忘れてしまうことが多々ありどのようにすれば覚えていけるかと四苦八苦していました。たくさんの患者様に入っては全てを覚えようとしていたある時、一度患者様に興味を持って施術してから次回施術したところ前回話していた内容を覚えていたことがありました。自分の行動をひとつ変えることで自分に変化が出たことで自分が成長している感覚がありました。今現在でも行動をひとつずつ変えていき成長すること新しい知識を得ることに貪欲になっていますの常に修業していると言えます。